
市東(しとう)さんは成田空港の中で唯一暮らしている農家だ。
正確には、1960年代の成田空港建設時にほとんどの農家は土地を明け渡したが、市東さんだけは残って畑を耕し続け、その後市東さんの家の周囲に空港ができたという方が正しい。
家の周囲はジャンボジェットの滑走路
現在市東さんの家は滑走路で取り囲まれている。
ジャンボジェット機の離着音は大きく、市東さんの家の窓ガラスが揺れるほどだ。

祖父の代から続く農業
市東さんの家は祖父の代から続く農家だ。市東さんのお父さんが1999年に亡くなり、それまで勤めていた焼き鳥店を辞めて、49歳で実家に戻り農業を継いだ。
現在はニンジン、ニンニク、らっきょうなど四季に合わせて約50種類の野菜を栽培している。無農薬の有機栽培で農地をこまかに世話しているため年中忙しく、市東さんの趣味と言えばお酒を飲んでカラオケをするくらいだ。

地元住民による空港建設反対、多額の立ち退き金
成田国際空港が建設される予定地には65ほどの農家があった。成田国際空港株式会社(以下、空港会社)は一軒一軒と交渉を重ね、土地を買い取っていった。
当時成田周辺は貧しい農村で、目の前に2,000万円以上もの大金を積まれ立ち退く農家も多かった。
しかし市東さんは祖父の代から100年も続く農業を続けると決めて、空港会社の立ち退き提案を拒否し続けた。2003年には1億8,000万円の離作補償を提示されたが、市東さんは首を縦に振らなかった。

土地明け渡しをめぐる訴訟
2008年、空港会社は土地の所有権を理由に、市東さんに土地を明け渡すよう裁判を起こした。市東さんの畑は祖父が開墾したものだったが、戦後の混乱などで登記手続きが適切に行われず、航空会社は名義上の地主から農地を買収していたのだ。
裁判は現在も係争中だ(2018年6月現在)。市東さんは「新鮮で美味しい野菜を消費者に届けたい」という一心で、空港反対運動のボランティアの人たちとともに土地を守り続けている。

引用元:
BBC